連載 No.25 2016年03月13日掲載

 

心のどこかに染み込む懐かしさ


見知らぬ遠い国の音楽に懐かしさを感じることがある。

それは偶然ラジオから聞こえてきたイギリスの古い歌曲や、街角で耳にした南米のフォルクローレだったりするのだが、

場所も時代もさまざまな異国の音楽が、なぜ懐かしいのだろう。



それと同じように美術や工芸に対しても、自分の遺伝子に通じる不思議な感覚を覚える時がある。

小さな器や美術館の絵画。

知らない国を旅していても、いつかなくした自分の欠片に出会ったように、いとおしく感じるものがある。



撮影する被写体にも、そんな出合いがある。

公民館らしき建物の中できれいに並べられたパイプ椅子。

カーテンを通した光は薄暗く、露光には30分要したが、ゆっくりと光だけが動いていた。

生活の痕跡を感じるものはあまり好きではないが、心のどこかにしみこんでくる懐かしさに惹きつけられた。



それは個人的な感覚で、同じように感じる人がいるとは思えなかったが、

自分なりのこだわりで仕上げてみると、不思議なことに同じ感覚の人に巡り会う。

芸術は意識のつながりに支えられている。

多くの人に伝えることよりも、求める人にだけ届くもの。それも魅力だ。



自分にしかわからない空間の匂いのような肌触り。

自分の感性を満たすためだけに作られた作品が、知らない誰かに伝わっていく。

自己満足という言葉は、未完成な作品に添えられることが多いが、

まずは自分を満たさなければ、誰かの心にも届かない。



より多くの人に感動を伝えられることが、写真家の技量だという人もいる。

作品の価値を決めるのはアイデアで、手法、表現をこらしたものに高い評価が与えられるのを否定しようとは思わない。

どんな芸術でも時代の流れとは無縁ではないし、さまざまな評価があり、価値がある。



写真の魅力は技能の優劣ではなく、感性やアイデアが評価されることにあると考えている。

しかし、明確な基準を持たない感性を評価しようとすると、多数決のように多くの人に伝わるものに価値があると考えがちだ。

99パーセントの人が感動するものが、自分にとってすばらしいものであるとは限らない。

つまらないと言われれば残りの1パーセントを見失う。



創作とは、同じ感性をもつ者を捜し求めることのように感じている。

感動を共有し、時を越えて求めるものを分かち合う。

創り続けることによって明るい光で照らさなければ、この小さな存在は誰の目にもとどまることはないだろう。

自己満足を超える芸術はない。

それはいつか個人、個性を超越して生理の中にある本質にたどり着く。